打ち出し

理の思案って大切なんだね。実はさあ、この前さあこんな事があったんだ。朝起きて、寝ぼけまなこをこすりながらトイレに入ろうとしたんだ。すると、お母さんが「マーちゃん、あんた事故でもしたの?車のバンパーがへっこんでるじゃない。」驚愕したね。だって身におぼえがないもの。ぼくは、用を足すのも忘れて車に駆けつけたよ。木戸にとめてある愛車の痛々しい姿に僕は、愕然としたよ。さすがに温和な僕も頭にきちゃったよ。一体誰だよ!
 朝食ものどを通らなかったよ。お父さんも、カズ兄ちゃんも知らないって言うし、きっと近所の誰かがあてて逃げたのかななんて考えてると、朝刊を読んでたお父さんが急にこっちを向き、真面目な顔で、こんな事を言うんだ。「マーちゃん、我々、お道を歩む者はね、誰がやったかとか、何でやったかとかという様な人間思案より、まずは、見せて頂いた姿に対して神様は何を言っておられるのだろうかとか、何をさせて頂くべきなのだろうかという様な、理の思案を第一にしなくてはいけないよ」だってさ。なるほどね。反省したよ。
 さっそく、理の思案にふけりながら歯を磨き,ふと気付くともう出勤の時間だ。着替えて車に駆け寄ると隣のおばさんに会ったんだ。「あら、マーちゃん、おはよう。昨晩は遅くに何か緊急の用でもあったの?」なんて聞くんだ。ん?「なんで?」「あら、だって、夜中にパジャマのまま車に飛び乗って出て行ったじゃない」
 ご承知の通り、僕達は昨年十月、真柱様より諭達のお打ち出しを戴いたわけだけど、毎日拝読してますか?えっ、なになに。ふんふん、拝読だけじゃなしに実践してるって!すごいじゃない!それじゃあ今回は『打ち出し』とは何か探究してみようか。
僕たちは「おぢばから打ち出しを頂いて」とか「大教会から・・・が打ち出された」なんて使っているよね。一般的には『打ち出し』ってどういう意味なんだろう?それじゃあ、ちょっと調べてみようか。『打って物をだす。宝を打ち出す。打出の小槌』おっと、これは、ちょっと違うなあ。次、『勢いよく出す。はっきり主張などを示す。』そう、これだ。つまり『発表』という言葉と、ほぼ同じ意味で使われるって言えるね。それじゃあ、次に3つの言葉をあげるから比べてみてくれる?『話された』『発表された』『打ち出された』どう?分かるでしょ。響き強さが違うでしょ。『打ち出し』には実に積極的な意志が含まれているんだ。
 真柱様から、おぢばから、あるいは、おぢばの思召を受けて教会から打ち出されたお言葉って教団全体の方針であるし目標であるよね。そして,僕達はみんな、それを真実の親の声として、その実現につとめることが大切だってことは自ずと分かるよね。
でも、みんな。ここでアテンション プリーズ。『打ち出し』とは全体としての方針であるがゆえにイコール全体としての問題なんてイージーな間違いをしてはいけないよ。つまり『打ち出し』とは、それを耳にし目にしたその人自身が自分自身の問題として受け止め、素直につとめ励んでいくものなんだ。もっと分かり易く言うと、『打ち出し』とは、親神様よりその人自身に下された「たすかるための命綱」ってこと。そう悟れるよね。それじゃあ、今回はここまで。チャオ!