良い言葉は通じる

 三月十一日の東日本大震災。毎日ニュースで現状を見聞きする度、胸がしめつけられる様です。また今の自分の姿、家族の姿はご守護以外の何ものでもないと感じ、もったいない思いがします。
 先日、病院を受診した際に春休み中でもあり、小さな子供を三人連れて来られているお母さんが居られました。なかなか言う事を聞かない子供に対して、大きな声で叱り、時には手をあげたりしてました。待ち合い席の方々も注目し完全に目立ってます。上の二人の子供が私の側へ来たときに見てみると、服は大分黒ずんで汚れていて、髪も洗ってない様な感じがしました。一番下の子がお母さんのひざの上でぐずり、泣き声と怒鳴り声が響き渡っていました。
 私は「教祖だったら間違いなく声を掛けられるだろう…。よし、私も声をかえてみよう!せめて一番下の子だけでも少しでも抱かせてもらって見させてもらおう。それか上の二人におやつでもあげて間を持たせて…でも、何といってきっかけを作ろうか…」とうだうだとなかなか勇気が出ず、とうとう最後まで声をかけられませんでした。大きな震災のあと、お道の者として少しでも何か人の役に立てる事をさせて頂かなくてはいけないのに、全く情けなく、申し訳ない限りでした。子供を生んで育ててみて、今まで以上に親のありがたさが分かりましたが、自分のコンディション良くない時は余裕のあるしつけができず、短気をだしてしまいます。あのお母さんの気持ちも分からなくはありませんでした。
 トシキが生まれてから、心がけている事に、きつく叱った日でも、そうでない日も、一日一回は「お母ちゃんの子供になってくれて嬉しいよ。お母ちゃんの所に生まれてくれてありがとう。」と言う様にしています。ずっと不思議に感じていましたが、まだトシキの身上が分かる前から、殆ど会話が通じない状態の時でもこの言葉は言うと、とてもとても嬉しそうな顔をして「うん!」とか「ハイ!」と言っていてスパーッと通じたという手応えが私にもありました。今では「僕もお母ちゃん好き、お父ちゃんも好きだよ」と言ってくれます。妹のスズエも「どうもしまして(どういたしまして)」と、これも嬉しそうに答えてくれます。
 神様は良い言葉はちゃんと通じるようにつなげて下さっているのだと感じる時です。
 日々のありがたさを私自身がもっと深く感じて、少年会の三つの約束「生きる喜びを味わいます」「物を大切にします」「仲良く助け合います」をしっかり伝えて行きたいです。