急いで急がん道

 や~年の暮れですね。まさに師も走る師走。忙しい忙しい。
 ところでみんなは、今年一年振り返って見てどうだった。充実してましたか? 僕なんか振り返っても今年一年何をしてたのか思い出せないんだよね。
それで、来年こそは、何か一つ目標を持ってやり遂げようと思うんだ。でもさ、何をしたらいいのか思いつかないんだよね。
 それで傑作なのが、この前、お母さんに来年何かしようと思うって話したんだ。そうしたら、お母さん何って言ったと思う?
「来年のことを言うと鬼が笑うわよ」だってさ。
にやけちゃうよね。鬼だってさ。鬼なんているわけないじゃない、東北にしか。
 さ~て、今月は「急いで急がん道」についてお話します。
 急いで急がん道なんて聞くと、急ぐの?急がないの? どっちなの? ってツッコミたくなるよね。
親神様は、おさしづの中で「急いではならん〳〵」と何度も仰せになっておられるんだ。
だからと言ってゆっくりしているのがいいのかと言えば、そうじゃないんだよね。
親神様は、非常に急いでおられるんだよね。世界たすけを急き込み、おつとめの完成を急き込み。教祖は、現身のご寿命までお縮め下さったんだよね。
それじゃあ、急がん道ってどうゆうことなんだろう? おさしづに
一里の道も、急いで行ってはしんどいと言わにゃならん。十里の道でも、ぼち〳〵行けばその日に行ける。 (明34・4・16)
とあるんだ。つまり、この道は天然自然の道である。成るように成るのだから、慌てて先へ行ったからどうということもない。
それなら行かなくてかまわんだろうと思うかもしれないが、決してそうではない。
 力のあるなしに関わらず自分として精一杯の精神を定め努力し、勤めるなら、どんなに遠い道のりでも、少しも心配することはないってことなんだよね。
ところでさ、よちよち歩きの赤ちゃんに重たい荷物を持たせている親って見たことある? 無いよね~。それと一緒で親神様が子供である僕たち人間に出来もしない無理難題を押しつけられるわけがないんだ。もし、僕たちに何らかの試練、苦労が訪れたとしても乗り越えるのが可能なものをお与え下さると思うんだ。だから、僕たちはどんな境遇でもあせることなく、神にもたれて自分に出来るつとめをすることが大事ってことだよね。
たすけ一条のこの道の御用は急がねばならないんだけど、かと言って結果を求めることばかりをあせって、足元を忘れてはいけないんだよね。
 近道も、ごまかしもありえないのが、この道なんだから、急いで急がず、真実の歩みを一歩一歩踏み出す事が大切なんだよね。