一瞬の睡魔 IOEの手記
十月に 七十二歳の誕生日を迎えさせて頂き、夕食に会長夫婦の結婚十三年の記念日が同じなので一緒に家族七人のハッピーバースデイの歌で祝ってくれた。前会長の年齢を一つ越した。お陰様で特に体のどこがどう言う事もなくお連れ通り頂いている事は最高の幸せと毎日祖神様に御礼申し上げている。でも時として四十四年間一緒に暮らした人が居なくなるのは実に淋しいものだ。
人はいずれ様々な人との別れの時が来る事は承知しているが不思議と親との別れは長生きをしてくれた事も有ってかこれが自然の流れとして受け止められたのだが、考えてみれば親と暮らしたのは小学校までの十二年間と楯縫で同居した十年余りだったので、年数からしても違うのかと思う。
前会長の指示で私に自動車の免許を取る様にとの事で取得してより三十六年位になるが現在わずかながらも時報の配布や、上級への二の日参り等に一人でも外出が出来るのも主人が取る様に声を掛けてくれたからこそと乗る度に有難うと御礼を言っています。
ところが先月のおぢばがえりに会長に乗せてもらって行く予定が出発の前夜、信者さんの出直しが有り急きょ私に運転して行ってくれとの事で、一昔前まではともかく、最近は会長だけと成っていたので、かなりこれを引き受けするのは覚悟が要ったが受けるより道なしと思い切って行かせて頂いた。他の一人の信者さんと二人十一時前出発して二時間余り走った岡山の津山の高速で、一瞬の睡魔で道路の縁石と側溝にぶつかり左の前輪がパンクしてしまった。余りの思いがけない事態に困惑したが会長に電話したらレッカーの手配をしてくれ警察にも連絡して駆け付けてもらい、津山の町にレッカーに乗って下りてイエローハットでタイヤを交換してもらう事が出来た。
何といっても二人とも体は何とも無く助けて頂いた事を喜ばして頂いた。この事故で二時間余り遅れ、吹田の高速の乗り換えで、又々間違えて、暗く成って分かりにくかった事も有ったが、阪奈の線に入ってしまい益々心細くなって来たが、いくらか走って地道に降りて途中、人に尋ね〳〵やっと八時前に詰所到着できた。何と出発から九時間もかかった。
今回は特に人様と逢う約束の御用も有って、私にとっては大変なおぢばがえりとなったが、一歩間違えば命を落としてたかも知れない大難を小難にお助け頂いたのは不思議で、思い出す度に今生きさせて頂いている事が有難く、これからは尚一層全ての事は当たり前と思わず、喜び勇んで一日〳〵通らせて頂けねばと心新たにしているところです。
だん〳〵に何かの事もみえてくる
いかなる道もみなたのしめよ 四・22
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