おふでさき

ハローエブリワン アイム マーチャン
 はい、みなさん、これからの社会、英語って重要みたいだね。
 最近つくづくボクが思うのは、昔に比べて英会話とかのテレビ番組が増えたなってことなんだ。教育テレビでも幼児向けの英語番組がよくやってるよね。一昔前までそんなになかったのに。
 でもさあ、幼児向けの英語番組ってさ、はっきり言って、英語で歌を歌っているだけのような気がするんだよね。
 また、最近では、幼児向け英会話教室がけっこうあるみたいだけど、この間、レッスンの内容を見たら、大半が英語の歌を歌うことなんだよね。
 きっと歌って楽しく効果的に物事を身につけるために重要なものみたいだね。
 さて、ネタ振りはこれくらいにして、今回は「おふでさき」についてお話します。
 みんなは、「おふでさき」というものをもちろん知ってますよね。
 「おふでさき」とは、教祖ご自身が筆を取って、親神様の思召をお書き記しになったもので、千七百十一首の和歌体のおうたが十七冊に綴じ分けられているんだ。
 各冊を第一号から第十七号と呼んでいるんだけど、第一号は明治二年正月にご執筆を開始され、第十七号は明治十五年に筆をおかれたと言われているんだ。
 当時のお話によると、教祖は、夜の暗がりの中でも、親神様の思召のままに筆をとられると、すらすらと筆が走って文字になったということなんだ。
 「おふでさき」の中に、
 このよふハりでせめたるせかいなり
 なにかよろづを歌のりでせめ
 一・21
 せめるとててざしするでハないほどに
 くちでもゆハんふでさきのせめ
 一・22
 なにもかもちがハん事ハよけれども
 ちがいあるなら歌でしらする
 1・23
 と、この世は親神様の思召によって成り立っているのであるが、人間の心が思召に添わないようなことがあれば、うたで教えてやろう、筆先で知らしてやろうとお説き下さっているんだ。
 僕たちの心の持ち方、つとめ方をお教えくださっているのが「おふでさき」であるんだよね。
 また、おさしづに、これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。
 明治37・8・23
 とあるんだ。「ふでさきというのは軽いようで重い、軽い気持ちで見てはならない。これこそが話の台である」と仰せ下さっているように、和歌の形でやわらかく、優しく、覚えやすいように配慮され、その中に教理の奥義が自然と人々の心に治まるように、水や道や埃などの例えを用いて、繰り返し、繰り返しお説き下さっているんだよね。
 つまり、「おふでさき」とは、僕たちが、常に座右に置いて心の支えとさせて頂くべき、何より大切な原典ってことなんだ!
 最後に豆知識として僕たちが普段拝読する「おふでさき」には、本部に保存されてきたもののほかに、同じように教祖がお書きになって、一部分ずつ人々に人々にお与えになったものがあるんだ。これらを「正冊」に対して「外冊」とよんでいるんだ。
 人々の頂いたものの中には、「正冊」にないおうたあるんだ。これらを「おふでさき号外」とよんでいるんだよ。