八つのほこり
世間では、最近ペットがだいぶん流行っているみたいですね。実は,僕も飼っているんですよ。この間、赤ちゃんが3匹も生まれちゃって、もう大変。でも愛くるしい赤ん坊を見ているだけで純真な気持ちになるのはなぜでしょうね。いやぁ、ホントかわいいですよカンガルーの赤ちゃんって。
今回は八つのほこりについてだけど、みんなは「ほこりの心づかい」は、どこから生まれてくると思う?
親神様は思し召しに添わない心づかいを「ほこり」にたとえて、私達の日々の心づかいを戒められたんだよね。もともとほこりは、吹けばとぶほど些細なもの。早めに掃除さえすれば簡単にきれいにできるものだよね。だけど油断をしちゃうといつの間にか積もり重なって、ついには掃いても拭いてもなかなか取り除きにくくなるもの。だから我が心を反省して、絶えず「ほこり」を払うよう諭されているよね。
「ほこり」についてはこんなお話があるよ。
「綿畑でできる綿の実は、白くて美しい。だけど綿の実から綿を作るのに打っている間に美しい綿と一緒にたくさんの綿ぼこりがでちゃうんだ。でも、できた綿は美しいよ。次に、この綿から糸をつむぐのにまたまた多くの綿ぼこりがでちゃうんだ。でも綺麗な糸がまたできちゃうよ。その糸で布を織る時にも、また綿ぼこりがでちゃうんだ。エレガントな布と一緒にね。この布で着物を縫う時にも綿ぼこりや糸くずがでるだよ。でも出来上がったのはとってもマーベラスな着物。だけどタンスにしまって置くとその上には、またほこりが・・・・」
昔から人間は,本来、善なるものであるだとか、はたまた悪なるものであるだとか言うけどどっちだと思う?宿業だとか原罪なんて説く人もいるけど、教祖の説かれた「ほこり」はそのような根本的な悪とは違うんだよね。
まず、綿ぼこりのもとが綿や糸,布であったように、心も本来、善だとか悪だとか言う分け方など当てはまらないだよね。そして、僕達のその心は、日々の暮らしの中でめいめいに許された「心の自由」を使ううちに陽気ぐらしには不都合な心づかいを生み出しちゃうんだ。
つまり「ほこりの心づかい」とはどうしようもない悪魂から生まれるんじゃなく、その反面、どんな美しいと思うようなところからでも生まれちゃうんだよ。
教祖は、このような「ほこりの心づかい」を「をしい」「ほしい」「にくい」「かわい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」の八つにあげて、一人のほこりは、類を他に及ぼして、世の中の平和を乱すことにもなるから、めいめいが、常によく反省して、心の掃除に励み、絶えずほこりを払うようにと諭されているんだ。これが、「八つのほこり」さ。それじゃあ、みんな、レッツ掃除こころ。
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