言葉の使い方

 今先日前会長さんの兄にあたる京都の伯父さんご夫婦がお見えになりました。
ご夫婦ともお話が上手で、特に伯父さんは物腰も柔らかく豊富な話題で楽しくお話されます。印象的だったのが「大体、内の兄弟は怒りん坊が多い」という言葉。これを「短気」や「気が短い者」となると大分印象が違うのですが「おこりんぼう」とされるとあまり悪い感じがしないのが不思議です。
 お参りに来られる信者さんと話をしていても、やはり言葉の使い方と言うか「出し方」と言うかとても勉強になります。私も見習って色々な事を笑い話にかえる技を身につけたいです。
 過去に勇めずに悶々とした時ある婦人さんから「分かるよ、分かる!頑張ってるよ理恵ちゃん」と言って頂いた時それだけで全てが報われたような気がしてわっと涙が出て、水を絞った後のスポンジの様にその後の神様のお話がストンストンと心に入った経験があります。
 とかく上手くいかない時や意に沿わない出来事の時「なんと言ってやろうか」と悪のブラックな心が8割以上心を支配します(私だけと思いますが)。2割は「あながち間違ってないよ、間違っていてもそれは自分が過去に人様に対して行ってきた事。世話になった証拠。」と思います。でも2割(弱)です、すぐに影を潜めてしまいそうです。
昔「それをいっちゃぁおしまいよ」という言葉が流行りました。一度口から出てしまった言葉は返してほしくても帰ってきてはくれません。
 この口も声も大事に大切に使わせて頂かなくてはなりません。それには心が曇っていれば至難の業です。鼻の身上の際に前奥さんから「鼻から爽やかな空気を一杯に吸える様に、何を聞いても見てもいつも心を爽やかに通らせていただきましょう」と話して頂いた事がありますがその通りだと思います。一編に変われなくともそこを基本に忘れずに通らせて頂きたいものです。