人生の分かれ道

ゴビ「博士、人生の分かれ道ってありますよね?」
博士「人生の分かれ道?」
ゴビ「はい、例えば西に進むのか、東に進むのかで大きく人生が左右されたり、この人の出会ったおかけで人生が大きく方向転換したりとか?」
博士「そうじゃな?それを言うならゴビちゃん、お道の話だけど、かしもの・かりものの理を分かっているだけで人生は大きく分かれるとワシは言いたいね。」
ゴビ「おう、そうこなくっちゃ。それはどういう訳ですか?」
博士「そうじゃな、かしもの・かりものの理が治まっていれば人生は失敗しないと言っておこう。」
ゴビ「本当ですか?う~ん、自分が生きているという考えと自分が生かされているという考えの相違ってことですかね。」
博士「そう。この体が神様からお借りしていると分かると人生観は大きく変わるんだよ。自分の力で生きているという人が、商売で儲かったとしよう。それは、俺の腕がいいからだ。俺には才覚があると、やはり高慢になってしまうんだよね。」
ゴビ「分かる気がします。」
博士「しかし、こういう人が一度失敗すると、不景気のせいだ、取引先のせいだと他に難癖つけて、グチり、なかなか援助の手も無いということに陥りやすいと言える。」
ゴビ「ふむふむ、分かりそうな気がする。」
博士「対して、かしもの・かりものの理が治まった人が成功をおさめた場合は、『自分の様な徳のないものが、勿体ない、有難い』と低いやさしい心で、ますますの努力が期待できると思うんだな。」
ゴビ「そうですね。そういう人なら、失敗しても、人を恨まず、人にも迷惑かけて申し訳ないと、心からお詫びして通られるような気がしますね。また、そんな低い心の人なら、きっと援助の手も差し伸べられることが容易に想像できます。」
博士「そうそう。」
ゴビ「感謝の心、勇んだ心さえあれば、きっと又、はい上がれるような気がしますね。」
博士「つまり、かしもの・かりものの教理に添って生きるということは、すべての御守護をいただくもとであると断言できるものなんだ。」
ゴビ「そして、そこから、喜びと感謝のこころが生まれるという訳ですね。」
博士「その通りじゃ。」
ゴビ「博士、話は変わりますが、この前近所のチビッコにうどんを作ってごちそうしてあげたんです。そうした、そのチビッコの一人が、『お兄ちゃん、本格的な手抜きうどんをありがとう』って言ったんです。」
博士「う~ん。言葉も文字が入れ替わると大きく意味が別れるってことだね。」