修養科を終えて N.Y

 結婚する前にという事で5月より3ヶ月間おぢばにて修養させて頂きました。
 自分で来たと思っているかもしれませんが、親神様がここおちばにこのタイミングで引き寄せて下さったんですよと言われました。よく聞いた事あるフレーズでしたが当事者になって心に治まるなと思いました。
 私は901期で期全体としては230人余りであり下は18歳から上は92歳の男性が最年長でした。この92歳の方は3ヶ月間毎日自分の足で登校され詰所でも自分の事は自分でしっかりされるような方でとてもびっくりしました。年齢性別から身体の健康状態、そして見た目にはわからないのに精神的な身情を年齢問わず抱えてる方が多く、今の社会・世上を表してる所等、修養科は「世界の縮図」と聞かせて頂いていましたが、なるほどこの事か!その通りだなぁ〜と感じました。
 私のクラスは26人いました。健康で今までなんの問題もなく生きて来た人は勿論、人生経験豊富な方も多く、刑務所に入ってた方、嫁姑問題に困り果ててほぼ逃げてきたような前会長夫人さん、夫と息子の家庭内暴力に20年耐えてきたけど警察ざたになって来られた方、大腸癌を患って治療中の方、小学校から膠原病を発症し今も薬を飲み続けている18歳のギャル等々と26人全員紹介したい位個性派揃いといいますかバラエティにとんでいました。(笑)
 3ヶ月間を振り返って改めて考えても素敵なクラス、人達に恵まれたと感謝しています!

 修養科の主任先生のお話に「天理教は人助けて我が身たすかる」という所から、人は両手に荷物を持って生きているが、その荷物を一緒に持ってあげましょうとわかりやすくお話下さいました。人は身情事情、又辛い事悲しい事から昨日起きた悩み事と荷物を持って生きています。勿論それはお互い様です。しかし自分の荷物を持つだけで大変でもう持てない事も、周りを見渡し荷物を持つのが大変な人の持つ物を一緒に持ってあげようとする、持ってあげる、持ってあげれなくても「重たくない?大丈夫?」と声をかけてあげる。そうするといつしか不思議に自分の持っている荷物が軽くなり、持てるようになる。ちなみにその自分の荷物は教祖がしっかり持って下さるんですよ。というような内容でした。
 天理教の信仰者としてこの精神を忘れず、荷物が軽いならなおさら人の荷物を持とうとする姿勢、重たい荷物も難しい荷物も持てるように日頃の心のトレーニングの心がけを持ち続けれる人でありたいと思いました。
 喜べる日ばかりではありませんがこれを心に置いて日常生活を送りたいと思います