天然自然の道
世の中には、いろいろな職業があるもんだね。
と言うのは、僕の友達のノリ君のことなんだけど、鳥取砂丘のラクダの調教の仕事をしてるんだ。
ラクダなんて温和そうに見えるけど、それでも、人を乗せるには、調教が必要なんだって。
それで、このまえノリ君が調教したラクダが初仕事をするってことで、鳥取砂丘に行って来たんだ。
ラクダの名前は「ハナコ」でモンゴルからやって来たんだって。ちゃんと調教されてて、近くで写真を撮っても、触っても、優しい目で見つめてたよ。
でも、久しぶりに砂丘に来たけど、ここへ来ると、こどもおぢばがえり期間の本通りを思い出すんだよね。
え? なぜかって? おすな、おすなの大混雑だからさ。
ハーイ。みなさん、今日は、『天然自然の道』についてお話します。
このお道は、天然自然の道であるとよく言うけど聞いたことある?
何かの種をまくにも、それに一番好都合な旬っていうものがあるよね。また、まいたからと言って、すぐ実がのるってことは無いよね。
その時その時の手入れや肥まきなど、丹精を重ね、やがて収穫の旬がやって来るんだよね。
これが天然自然の姿であって、それは、人間の勝手な都合や思惑で動かせるものじゃないよね。
天然自然の道とは、長い道なんだよ。
その道中には、いろいろな事柄も出てくるんだ。だから、僕たちは、目先のことで心動かされず、やがて大きな花が咲き、みがのることを信じて、神にもたれて通ることが大切なんだ。
また、天然自然の姿には節があるよね。節があるからこそ、そこから芽を吹くんだ。急いで飛び越えよう思っても出来ないよ。一段々々と踏み台を登っていくことが肝心なんだ。
おさしづに、
天然自然の理で治めるなら、どれだけ危ない所でも怖い所でも、神が手を引いて連れて通る。天の綱を持って行くも同じ事。
(明33・2・11)
と頼もしいお言葉があるんだ。
だから、僕たちは、しっかり心の台を定め、難儀不自由な道に入っても志をにぶらせず、案じ心を捨てて、天然自然の心で通ることが大切なんだよね。
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