人間心

 やあ、五月九日は、何の日か知ってる?
 そう、「母の日」だよね。でも、なぜ母の日には、カーネーションを贈るんだろう?
 実は、これを始めたのは、アメリカのアンナ・ジャービスという女性で、彼女の母親が亡くなったときにこの花を捧げたのが始まりなんだって。彼女の母親は、早くに夫を亡くし、苦労をして娘二人を育てたんだって。
 ちなみに、赤のカーネーションは、「母への愛」白のカーネーションは、「亡き母をしのぶ」という花言葉があるそうだよ。
 ところでさ、僕がいつも思うのは、「父の日」には、一体何を贈ればいいかってことなんだよね。
 それでさ、思い出すのが去年、何をプレゼントしていいか迷ってさ、子供っぽいけど「肩たたき券」を贈ろうとしたんだ。
 一枚で一〇〇回肩を叩いてあげる券を百枚つづりであげたんだ。そしたら「いつも部長に叩いてもらってるからいいよ」だってさ。
 ハーイ、みなさん、今回は、「人間心」についてで~す。
 お道では、よく「人間心」という言葉を使うんだけど、それは、親神様のご守護を忘れ、思召しを抜きにした人間の知恵や学問、常識や習慣だけに頼った心のことを言い、親神様の思召に添わない心を指すんだよね。
 もちろん、人間の知恵や学問、道徳、伝統や習慣が、すべて間違っているってことではないんだよ。
 でも、親神様を知らず、親神様の厚いご守護ということを基礎としない考え方は、たとえ、それがどんなに鋭い洞察と判断であったとしても、人間の知恵で計ることのできる、ちっぽけな尺度による結果だと言うことになるんだよね。
 おさしづに
 何ぼ賢うても人間思やんはその場だけより治まらん。      (明29・2・18)
 とあるんだけど、親神様によって創られ、親神様のご守護によって支えられ生かされているこの世であれば、人間の思案なんてちっぽけなものだと言うことだよね。
 常識や社会通念にとらわれ、目の前の利権や功名を求めて自己を守ろうとするのは人間心であって、それが親神様の思召に適わないのは、言うまでも無いよね。
 人間の心を似てするから、神の理が欠ける。人間に心を似てするから、もつれもつれて、持ちもさげもならんようになる。
(明28・5・22) 
「人間心」の義理や人情に流されたり、世間の常識にとらわれるから、親神様の理を軽くしてしまい、事情がもつれてくるのだと戒められているんだ。
 みんなも日々は、人間心を混ぜないよう、親神様の思いに添って通らせて頂こうね。