月日のやしろ

 「月日(つきひ)」とは神様のことで、「やしろ(社)」とは神様を祀る殿舎のこと。つまり、「月日のやしろ」とは「親神様のお鎮まりになるお社」ってことだよね。そう、つまり教祖のことなんだよね。
 教祖はもともと親神様が人間をお造り下された時、母親の役を果たして下されたいんねんある魂のお方なんだ。元始まりのお約束により、この世に人間としてお生まれになったんだよ。
 ご承知の通り、ご幼少の頃よりお心優しく、嫁としては人々から敬慕される中山家の奥様として、まさに模範的な人間としての道を歩まれたんだよね。
 そして、天保九年十月二十六日、元始まりからの約束の年限がめぐってきたので、親神様は教祖の体に入り込み、教祖の口を通して、世界たすけの御教えをお説き下されたんだ。
 教祖はこの時から「月日のやしろ」として五十年にわたり、たすけ一条の親心を持って教え諭し、また、身をもって人間の歩むべき手本ひながたをお示し下されたんだよね。
 ここで大切なのは、「月日のやしろ」となられてからの教祖は、それまでの人間として通ってこられた教祖とは、まったく違うってことなんだよ。
 姿形こそ、これまで通りの人間のすがたをしてはおられるけど、教祖を「やしろ」としてもらい受けられた親神様が、その体内に入り込んで、教祖の口を通してお話になっているのであって、それ以前の人間としてのお心はまったくないってこ
 となんだ。
 いまなるの月日のをもう事なるハ
 くちはにんけん心月日や
 (十二・67)
 しかときけくちハ月日がみなかりて  心ハ月日みなかしている
 (十二・68)
 とお教えられているんだよね。