耳が痛い

 先日おぢばがえりをしました。そのときに面白いことがあったので今回は筆を執りました。
 話がぜんぜん違うけど、僕は耳が悪い。知っている人も多いかもしれないが、子供のころから中耳炎で、耳垂れが出たりしてたけど、右耳に関してはほとんど鼓膜がない。ただ、物心付いたときからそうだったし、左耳は正常だったし、プールの授業が受けれない等の寂しい思いはしたけど、特に苦労したことはなかった。
 二十歳の頃に、強い勧めがあって鼓膜形成の手術を受けた。これが見事に失敗!?お医者さんはもう一回やれば良いと言うけれども、信用できずしなかった。まあ今までこれでやってきたんだしと思って、普段と変わらない生活が続いたが、二十五才のときに、左耳が急性の中耳炎に罹り通院。医者は「すぐに治るよ。」と言っていたのに、完治せず慢性化、鼓膜にも穴が開いたままになっちゃった。難聴はあるけれども、右ほどではないので何もせず今に至っていました。
 ところが10月の中頃、急に左耳が痛くなって、耳垂れも出てきた。すぐに診てもらえばよかったけど、仕事がメチャメチャ忙しくて、定時に帰らせてくれと言える空気じゃなかったから、我慢してなんとやってた。土曜日に病院に行きたかったけど、前からおぢばがえり(秋季大祭)する予定だったのでそっちを優先した。心の中で『鮮やかな御守護があるかも!』というのもチョ~ンボシだけ期待していざぢばへ。
 25日到着しても良くなるどころか悪くなる一方。ヤケ酒気味に飲んだ次の日起きてみると、ビックリ!ほとんど聴こえないではないか!!右耳並みか、それ以下か?まともに会話にならない。結局前より断然悪くなった状態で帰宅ことになった。
 月曜日にも変化はない、流石にまずいと思い、訳を伝え定時で終わり通院した。翌日、職場の人が色々声をかけてきた。そして、僕が難聴だってことに驚いていた。確かに面接では説明したけど、今の部署の人たちに話したことはないし、会話しててもそういうのを見せないところはあった。言葉が分からなくても誤魔化すのである。それは会話の流れを切りたくないからだし、会話ってのは相手の言葉が100%理解できなくても何とかなるんだよね。
 ところで、この身上の神意が全く解らない!右耳に関しては子供の頃からで深く考えたことはなかったが、左耳は色々思案してきた。でも答えが出ない。何が聞こえてないのだろう、神の声?親の声?妻か?子供か?それ以外か?ハッキリした(納得の出来る)答えが見付からない。幸い薬を飲み、炎症も治まり、聴こえは少し戻ってきた。
 それでもって11月8日、三人目のをびや許しを頂きにおぢばに帰った。その際、増田先生の所へこの間のお礼を言いに教会へ一人で伺った。二人で話をしていると、先生が「耳の調子はどうや?」と尋ねるので、ここ2・3週間の話をし、思案に暮れていると言うと、開口一番、
 「聴こえないのを聞こえる様に見せるってのは、こうまんの心遣いかも知れんな。たとえ相手に気を使ってそうしてても、それ自体がこうまんかもしれない」
 驚いた、そんな風に考えたことなどないし、まさか聴こえない自分がこうまんだなんて?と同時にその通りだとも思った。だって僕は聞こえないことに全く素直じゃなかった。そして、難聴が皆に周知されたことで、かなり気持ちが楽になったのは事実だ。これも神のはからいか!?多くのことに気付き、とてもうれしい気持ちになって、典日を後にした。
 翌日、サイコと二人で参拝に行くことができた。神殿に向かう車中、昨日の話しを大まかにしてた、するとサイコから返ってくる言葉がよく聞こえるような?車のエンジン音もいつもと違う、神殿に入るとほかの参拝者の声や拍手がよく聞こえる。おつとめを始めると、サイコの声が聞こえるではないか!!僕場合、聴力の神経は正常で、鼓膜に穴が開いていることで聞こえが悪い。だから自分が声を出してる時や物を噛んでたりすると、骨振動でだろうか、こっち(自分の音)が優先されて、外からの小さな音は全く聞こえない。だから僕はサイコと一緒におつとめをしていてサイコの声を聞いたことがなかった。スゴイ!と感動したのもつかの間、神殿から出るといつものように戻ってしまいました。
 でも僕はとてもうれしい気持ちです。ちなみに僕は視力も弱い、大きな身上も頂きました。これについては答えが見つかっていて、それを一生忘れてはならないと思っています。この耳も正常に戻るかは分かりません。でもこれも自分が一生かけて成人するための糧なのかなと思っています。
 正直、難聴は目が悪いより辛いです。話してて何度も聞き返すのって嫌ですよね。近くで普通に会話している人達がヒソヒソ話にしか聞こえないから、自分の事では?なんて考えて精神的におかしくなりそうな時だってあるんです。でも今なら別の考えや対応をとれそうです。ほんとに二度目の中耳炎になってよかったと思ってます。
 このことは、敢えて沢山の人に知ってもらったほうがいいと思って、自分のエゴで長々と書きました。これが高慢でなければよいが…