節を生かす道

 親というものは子供に、自分のはたせなかったすべての夢と希望を託してしまうものだよね。そして、子供への期待が大きいと、それを失う節に出会った時の失望落胆はとても大きいものだと思うんだ。
 梅谷四郎兵衛先生が二女をなくして、哀愁の心を抱いておぢばへ帰って、教祖にお目通りして、話のついでにその事を申し上げると。教祖は、
 「それは結構やなあ」
 と、仰せになられたんだ。
 梅谷先生は、教祖が何かお聞き違いをされたのだろうと思い、更にもう一度、
 「子供をなくしましたので・・・・・・」
 と申し上げられると、教祖はただ一言、
 「大きい方と替わっても仕様ないな」
 と仰せになられているんだ。
 我々は、教祖より、節に際し、それを生かす道をお教え頂いているんだ。
 教祖は七十八歳、道の発展の上に、共に苦労をなめられた、まなごのこかん様が出直された時、しばしご愁傷の態はあったのですが
 「お前はどこへも行くのやない。セミの抜け殻も同じこと。魂はこの屋敷に留まっている。この屋敷に生れ帰って来るのやで」
 と、生ける人に物を言うようににこやかに仰せられたんだよね。
 しかし、愛する子供に対して、出直しにいたる神一条の理は、厳然と示されているんだ。
 梶本家に嫁がれていた、こかん様の姉であるおはる様が5人の子供を残して亡くなられていて、幼児もあり、こかん様にその後を懇望されましたが、教祖は、こかん様はぢばに因縁ある魂の持ち主であり、ぢばへ留め置いて、いつまでも親神様のご用をさす思召であったが故に、容易に承諾されなかったんだ。
 しかし、こかん様は義理に迫って梶本家へ赴かれている。
 この事実に対し、後に、親神様の思召に背くことなく、神一条に徹したならば、身上も自由の守護を得られたものをとお教えられているんだ。
 更には、八十四才の時、長男の秀司に先立たれ、あまつさえ翌年にはその嫁、松恵様にも先立たれ、残るは、孫娘である5才のたまへ様のみといった状態の中に、いささかも動じることなく、厳と神一条の歩み方を、常に我々に対して、導きの手をさしのべていて下さったんだよね。