教祖の存命の理
ゴビ「ところでクマモン。おやさまの五十年のひながたの本質ってなにかわかるかい?」
くま「う~ん、まったくもって分からないな~。」
ゴビ「ぼくは、『おつとめの完成』だと思うんだ。」
くま「なんだか難しいな~」
ゴビ「それじゃあ、教祖がお姿をお隠しになられたのは、いつだったかおぼえてるかい?」
くま「えっ、明治二十年陰暦正月二十六日午後二時だったよね。」
ゴビ「正解、クマモン勉強してるじゃな~い。その思いもまた、おつとめをつとめられるようにとの親心だったんだよね。」
くま「教祖の思いはおつとめ一点にあったんだね。」
ゴビ「自分の身を案じることなく、堂々と誰はばかることなくおつとめがつとめられるように、とお姿をお隠しになったんだね。」
くま「お姿お隠しに際し、当時の先生方も力を落とされたと聞いたけど…」
ゴビ「そうだね。教祖伝には『人々は、全く、立って居る大地が碎け、日月の光が消えて、この世が真っ暗になったように感じた。真実の親、長年の間、何ものにも替え難く慕い懐しんで来た教祖に別れて、身も心も消え失せんばかりに泣き悲しんだ。』と記されているね。」
くま「皆さん、どうやって立ち直ったんだい?」
ゴビ「飯降伊蔵を通しておさしづがあったんだ。」
くま「何と?」
ゴビ「おやの寿命を二十五年縮めて姿を隠したが、これからたすけにかかると」
くま「ふむふむ、姿を隠してたすけにかかると…」
ゴビ「姿は見えないが、どこへも行かずにここにいる、と「ご存命」である」
くま「ふむふむ、姿は見えないが存命でいると…」
ゴビ「これを「教祖存命の理」というんだよ。」
くま「ふむふむ、ここ大事だからメモしときます。」
ゴビ「我々は、このことをこの年祭の旬にしっかりと再確認をし、心に刻み込まなければならないんだよね。」
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