鼓膜形成手術

 7月3日手術をしました。鼓膜形成手術です。以前、楯縫通信で書いたはずですが、僕は聴力に難があるんです。右耳は物心付いた時から慢性中耳炎で、鼓膜も穴が空いちゃってて、右耳はほとんど聞こえてません。でも左は正常だし、困ることといえば、プールに入れない事ぐらいで、まあ不自由なく過ごしてました。そして専修科生(二十歳)の頃、中耳炎で耳垂れもひどく耳鼻科を受診した時、お医者さんに鼓膜形成の手術を勧められました。僕の場合は、音を聞く神経は正常なんです。骨振動のように鼓膜を通さず、聴力を測るとちゃんと聞こえます。だから鼓膜を形成すれば正常に聞こえるというわけです。でもこのときは上手くいかなかった。耳の後ろを切開して、筋肉の薄い膜を取って鼓膜に貼り付ける。すると元々の鼓膜の細胞がその薄い膜を伝って鼓膜が再生する、と言っていたはず…、 しかし全く元のままでした。するとお医者さんはもう一度手術すれば治る、と言ったんですが、今まで左耳だけで生きてきたわけだし、勝手に勧めて、勝手に失敗して、もう一度すれば上手くいくと言われてもイマイチ信用出来なくて、止めてそのままにしてました。
 そして二十五、六才の頃、夜中に、頭割れるんちゃうんか?と思うような痛みで夜眠れなくなりました。左耳が急性中耳炎になってしまったんです。お医者さんは、炎症が治まったら鼓膜も元に戻るといっていたのに、戻んなかった。だだ、右ほど悪くなく、普段の生活はなんとかなった。小声だったり、広い場所など、聞き取れないことはしょっちゅうだけど、幸か不幸か、分からないことをごまかすのが上手かった。後に増田先生に「分かってないのに分かったフリをするのは高慢や」と、お叱りを受けたけど、僕だってそういうフリをしたときは心が痛むんですよ!ただでさえ人見知りなのに、会話が聴き取れないかもと考えただけで人と話すのが億劫になる。というか怖い!ドキドキするんです。
そういう状態のまま島根に戻ってきました。日々の生活に追われ七年が経ちましたが、今の家に引っ越して町内入りをしてからは、町内の付き合い、若いもん会、子ども会、小学校、もちろん仕事も、何かと付き合いが増えた。『この耳何とかしたい!』と切に思うようになり、手術にいたったというわけです。
 ああ!経緯を説明しようと思っただけでこんなに長くなっちゃった。かなり端折った積もりなんですけどね。
といううか、今現在、手術した耳が治ってるか分かんないんです。今回は左耳をしたんですが、術後、外耳道にしっかりとつめものをして二十日間くらいおいとかないといけないんです。右はダメ。頼みの左も塞がれてて、治ってるかも分からない!本当は、この心の葛藤を書きたかったんですが、すでにこんなに長くなっちゃった。ということで、手術の結果と、術後思ったことを来月に書きます。今、会長さんの了承も得ました。
 どうぞ来月もお付き合いください。」