月日のやしろ

 はーい、みなさんお久しぶりで~す。マーちゃんです。ここのところめっきり寒くなってきた感じじゃない?まさに霜月といったところだよね。 さあ、今回もその寒さを吹っ飛ばすくらい、しっかりお道探求をしていくべし!
 ということで今回は、「月日のやしろ」についてお話します。
 まず、「月日(つきひ)」とは、親神様のことだよね。それから「やしろ」―社っていうのは神様を祀る殿舎のことだよね。すなわち「月日のやしろ」とは「親神様のお鎮まりになるお社」ってことで、教祖のことを意味するんだよ。
 ご承知の通り、教祖はもともと親神様が人間をお造り下されたとき、母親の役割を果たして下されたいんねんある魂のお方だよね。そして、元はじまりのお約束により、この世に人間としてお生まれになられたんだよね。
 そう、寛政十年、四月十八日のこと。それから四十年間の教祖は、ご幼少の頃から敬慕される中山家の奥様として、まさに模範的な人間として道を歩まれたんだよね。
 そして、天保九年十月二十六日、元はじまりからの約束の年限がめぐってきたので、親神様は教祖のお体に入り込み、教祖のお口を通して世界人類が本当にたすけて頂けるこの教えをお説き下されたんだ。
 教祖はこの時から「月日のやしろ」として、五十年にわたり、たすけたい一条の親心を持って教え諭し、また身をもって人間の歩むべき手本ひながたをお示し下されたんだよ。
 さあ、ここで大切なことなんだけど、「月日のやしろ」となられてからの教祖は、それまでの人間として通ってこられた教祖とは、まったく異なるのだということなんだ!
 姿形こそ、これまで通りの姿をしてはおられたんだけど、教祖を「やしろ」としてもらい受けられた親神様が、その体内に入り込んで、教祖の口を通して、お話しになっておられたんだよね。だから、それ以前の人間としてのお心はまったくないんだよ。
 人間思案を一切まじえず、親神様の思召一すじにお話下され、またご行動なされたんだよ。
 親神様は、このことを、
 いまなるの月日のをもう事なるわ
 くちわにんげん心月日や
 十二・67
 しかときけくちハ月日がみなかりて
 心ハ月日みなかしている
 十二・68
 とお教え下されているんだよね!