帰郷

 とうとう帰ってきました。戻ってきても荷物の整理に、色んな役所に行ったり、やることが沢山あってなかなか落ち着きません。引っ越しってホント大変だ!(実際はこれからの方が大変なんだろう、無職だし…)
 退職が決まって気付いたのは、ボクはおぢばに十四年居てたから、人生の約半分を、おぢばで過ごしたことになる!ってことだ。これが良かったかどうかは分からないけど、大きな財産だし、力になるだろうけど、弊害になることもあるのだろう。
 おぢばでの生活はとても楽しかったし、沢山思い出があるけれど、常に信仰との葛藤があったように思う。(かっこつけすぎ!)
 思い返してみると、高校では、ちょっとした不足や不満に、「これがお道の学校にあって良いのか?」という様な矛盾を感じながら生活していた。まあ、このころに信仰なんて何も分かってないのだけれども(今もよく分かってないが…)。
 そして、不本意ながら入学した専修科では、更なる矛盾を抱くことになった。ただ、恩師との出会いで、少し信仰というものの考え方に変化があって、お道に否定的だったのが、変わってきた。興味が湧いてきたんだと思う。
 更に、消防掛に九年勤めたわけだけど、ここでの生活は今までに教わった事の応用といったところだろう。消防掛は、半年ごとに(ボクの班だけで)三・四人が入れ替わるので、九年という間に、本当に沢山の人と出会って、生活してきた。
 その中には、なるほどの人もいれば、扱いの難しい曲者もいた。ただ、おもしろいのは、どんなにクセの強い人も、素直でない人でも、「神様にはこんな意図があるのでは?」というふうにたとえて話すると、耳を傾けてくれる。それは、天理教が嫌だ!と言う人でも、そうだった。消防掛には、教会長子弟が多くいて、境遇が似てるからか?共通点があって、大概の人は、お道に積極的ではないけれど、神様を身近に育ってきたからか、神様という言葉を無視できないところがある(無視できる人はここには来ていないのだが)。だから、何か注意するときでも、「神様は」という言葉を使うと効果が大きかったりした。そういう状況が、常に神様の事を考えなければならなくなってた。(ちょっと大袈裟に書いてます)
 最初に、葛藤と書いたけど、おぢばにいると、信仰というものを考えざるを得ない、ということです。(当たり前だ!)
 そんな生活の中で得たものは、格好良く言えば、『心が定まった』ということだろう。そういえば一緒に退職した後輩が、最後にこんな事を言ってました。
 「今まで、信仰を続けていこうとか、教会長になるとか(彼は教会の後継者)、全然考えてなかったけど、ここで勤務させてもらってくなかで、お道を通っていこうという気持ちがしっかりと定まった。」
 ボクも時間はかかったけど、信仰していく心が定まったし、信仰することの喜びというのも、ほんの少し分かってきました。
 ところで保安室(境内掛・消防掛)には、その日その日の教語というものがあり、消防掛では、担当者がその日の教語について一言話すことになってます。ボクは退職の当日に『時旬の理』について話をすることになりました。その日の二・三日前に、教語の本を調べていたら、こんな、おさしづがありました。
 「旬ならば、ならんと思えることでも成ってくる。どんな反対があっても成る。」
      (明治三十四年四月十六日)
 今が旬かどうかは分かりません。しかし、旬かどうかの判断というのは、結局は自分が旬と思うどうか?自分の心次第なのだろうと、ぼくは思います。そして、今が旬だとするならば、神様は「ならんと思えることでも成ってくる。」と、おっしゃっています。いざ、おぢばから離れるとなると、とても不安でしたが、その時には、神様から応援してもらったような、後押しして貰ったような、とても大きな力を貰いました。
 この旬に相応しい努力を忘れず、これから出会う人達に、少しでもお道のにおいを蒔いて、今度はボクが力を貸し… あっ!また、カッコつけるところやった。
 どうも長々とすいませんでした~