てびき

 この前、一畑電車に乗ったときの話だよ。
 僕は座って「コロコロコミック」を読んでたんだ。めずらしく車内は満杯の状態だったんだよ。
 すると、そこへ、おじいちゃんが一人、乗って来たんだよね。
 僕は、おっと、席を譲らなきゃと思ったけど、ちょっと人目を気にしてしまって、よし、あの踏み切りを超えたら譲ろう、なんて、機をうかがってたんだ。
 するとさ、隣の席で寝ていた女性がさあ、ふとそれに気付くと、躊躇する間もなく、すぐさま、お年寄りに声をかけ、席を替わったんだ。
 しまったと思ったね。そして、この女やるじゃないかと思い、顔を見たら
「おっわっ、柿子じゃないか!」
 そうなんだ、中学時代のクラスメイトの柿子だったんだ。
 昔話に花が咲いてさ、一緒にうどんを食べに行くことになったんだ。
「しかし、お前、勇気あるよなあ」って僕が言うとさ、
「えっ、あんなの勇気でも何でもないわよ。本当の勇気というものは、第三者の目撃者のいない場合に示されるものなのよ」だってさ。
 意味はよく分からないけどすごい奴だよ。
「それより、私は、あなたのほうこそ、勇気があると思うわ。」って柿子がいうんだ。
「えっ、そんなバカな。どうして?」
「だって、そんな白い服きて、カレーうどんを食べてるんだもの」だってさ。
 ハーイ、みなさん、めっきり秋らしくなって来ましたね。今回は、「てびき」について考察してみます。
「てびき」。そう、「手引き」。一般に「○○の手引き」とか、「△△の手引書」とか入門書なんかで、よく見かけるけど、意味は、手を引いて教え導くってことだよね。
 人生を歩んでいく上で、何も知らずに右往左往している僕たちに対して、親神様が手を引いてお導き下さる、これが、お道で言う「てびき」なんだよ。
 もともと、親神様が、人間世界を創られたのは、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうという思召しからだよね。
 夢中になって動き回っている僕たちが、その思召とは反対方向に進んでしまったとき、時を見て肩をポンと叩く、気をつけろよ、そっちじゃないぞ、反省せいよと呼びかけて下さる。
 そうなんだ。その様な親神様の呼び声、サイン、これが、病気や怪我の苦しみであり、事情のもつれや、不時災難ということなんだ。
 一般に、病気、災厄は不幸、不幸は悪なんて、安直に考えてしまうけど違うんだよね。
 言わば、それらは親神様が設定された善に向かわしめる為の慈愛のみちしるべってことだよね。
 実際、身上・事情の悩みや苦しみを味わったときほど、生命の有難さや、人生の意義を切実に感じることが出来るよね。
 ん! 待てよ。はは~ん、分かったぞ、身上・事情って、マイナスをプラスに転じ、跳躍するチャンス、ターニングポイントってことじゃないか。
 もうひとつ踏み込んで考えると、僕たちは、そんな時でこそ、神の用向きと受け取り、親神様の救済の意志をくみとり、聖なる使命を得て働く意志をもつことが大切なんだよね。
 なるほどね~。ん!「アッ、イタタッ・・・」
 いや~失礼、おとといの運動会で張り切り過ぎちゃって、筋肉痛なんだよね。 ん?ハッ! 待てよ、これも、かみの道教えじゃないか!? 早速、神のもとへ向わなくちゃ!