ひのきしんの根底は

ゴビ「博士、昔の歌なんですけど…」
博士「何だい?」
ゴビ「『赤とんぼ 赤とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ~♪』っていう歌がありましたよね。」
博士「うん、そういえばそんな歌あったね。」
ゴビ「博士、一体どういう意味なんでしょう?なぜ、赤とんぼの羽根を取ったらアブラムシになるんですか?アブラムシにしては胴が長すぎると思うんですが…」
博士「う~む、まあ、難しく考えずにナンセンスさを楽しむ曲の類なんじゃないかね。」
ゴビ「なるほどナンセンスですか。」
博士「詩には、人それぞれの感性が入ってるからね。」
ゴビ「僕にしてみたら、シマウマのシマをとったらただの馬ぐらいのほうが分かりやすくていいんですけどね。」
博士「おぉ、それも、なかなかいいじゃないか。」
ゴビ「えっ、マジですか。」
博士「それじゃあ、ゴビちゃん。」
ゴビ「ハイ」
博士「その歌に関連して、お道の話をするが…」
ゴビ「何でしょう?」
博士「ひのきしんから親神様への感謝の心をとったら何になると思う?」
ゴビ「なるほど、そうきましたか…。う~ん。ひのきしんは、親神様の御守護に対する感謝を姿形に現していくことだから、そこから、感謝の心をとったら…奉仕活動みたいな道徳的な行い、ヒューマニズムの行いってところですかね。」
博士「そうだね、その様なところだね。」
ゴビ「つまり博士は、ひのきしんの根底を言いたいんですね。」
博士「そうじゃ。ひのきしんの根底は親神様への報恩感謝の気持ちから出てくる行いであって。それはすべてひのきしんであるといえる。」
ゴビ「人からお金をもらうとか、もらわないの違いではないって事ですよね。」
博士「御恩の感謝の心で事に当たるなら、それがいつ、どこで、何を、どういう形でやるかはともかくとして、何をしていても、それはひのきしんであると言えると思うんだ。」
ゴビ「おっしゃる通りです。」
博士「この様な、広く考えさせて頂けるなら、我々は、いつでも、どこでも、どんな境遇でも、どんな立場でも、常にひのきしんができるということになるね。」
ゴビ「本当ですね。博士。」