人間の都合と神様の都合

 過去に人間の都合と神様の都合についてお話しを聞かせていただく機会がありました。簡単に言えば何かと神様の事がかち合ったとき、都合が悪いと思うことでも神様の事に合わせて通れば結果都合のよい事につながる。というお話です。分かっているようで改めて聞かせて頂くとなるほどと心に響きました。分かりやすいところで言えば朝づとめも「眠い」という人間の都合をどれだけ神様時間に合わせるか、その合わせた日の積み重ねで変わってくるということだと思います。でもなかなか出来ない日もあるかもしれません。しかしそうなるように努力する心を受け取って頂けるのだと思います。
 独身時代仕事をしている時に月次祭で毎月お休みを頂いていましたが、繁忙期などはあまり良い顔はされません。今思えば良い顔をされなかった事がとても良かったと思います。良い顔をされないので良い顔をしてもらえるように日々の業務を喜んでもらえる努力をします。自分の中では月次祭に休むことは変えられないので、休ませてもらいやすくするために一つでも二つでも人より多く仕事をして、嫌な仕事も積極的に引き受けようと思えるようになります。
 そして「忙しい中ですが休ませて下さい、休ませて頂いてありがとうございます。」と頭を下げます。続けていく中で「意地でも休むね」「いいな~うまいこと休めて」と言われていたのが「まぁ仕方ないね」に変わり「どうぞどうぞ、大事な日だもんね。」と言って頂けるようになりました。その時の嬉しかった事は今でも覚えています。こうやって頭を下げることが普段下げていない私にとって良い事なんだと実感しました(笑)。
 そして何とかそうなるようにと気持ちを持ち続ける努力にきっと神様はお働き下さるのだと感じその後職場が変わっても続けて行くことが出来ました。また良い顔をされない時はまだまだ自分のつとめが足りないのかもと考えるようになりました。                                                                   いろんな日がありますが、何年もの間誰も味方のいなかった道中を、暖かい心と硬い信念を持ちお進み下された教祖のひながたの御逸話を思い出し、全くもって届きませんが努力したいと思っています。