IOEの急いで急がん道
昨年の秋頃だったかいつも通り撤饌後の拭き掃除を終えバケツを持ち上げると水が少しこぼれていて、頭上ですかして見るとかすかに穴があった。古い神殿より使い続けていた物で、見てみると買い求めた年月が懐かしい前々会長の字で昭和三十八年八月と記してあった。万田の地に移転してより五年後だから昔ながらのブリキのバケツが半世紀以上もよくもったものだと感心しながら、楯縫の歴史と共に歩んでくれた使いなれたバケツをしみじみと見つめ直した。そして後代わりのバケツをと思った時、床下にもう一つ同じブリキのバケツがあった事を思い出し取り出してみると、何と更に古い昭和三十三年の教会移転の際に求めた物で驚いた。当時食卓のテーブルも無く佃煮の箱を裏返し、大根下しのおかずで食べていた話を聞いているのに物を買う事はどれほど大変だっただろうかと、はるか昔に思いをはせた。
この年齢になると将来よりも昔の通って来た思い出にひたる事が多くなる。若い時は無我夢中でひたすら歩んで来て、ここへ来て後を振り返る余裕が出て来た気がする。先ほどの古いバケツは一気に捨てられず外で肥えを入れて再利用している。
新しい神殿に成ってからもう十三年になるが色々な道中を通らせて頂き、今年明けて早々気に掛っていた息子の結婚を終えさせて頂き、今までの子と違って父親の介護をしながらの中、天候にも恵まれ本当に有難かった。
教祖百三十年祭仕上げの年に我が事を終えた今一層親の思いに沿って通らせて頂かねばと思う。
介護しながらのおたすけやにをいがけは限られているが外に出れないなら来て下さるお医者さん看護士さんヘルパーさんを始め、その他誰にでも『いきいき新聞』を渡したり、又自分の言葉でもこの教を伝えて行きたいと思っています。そして孫達にも縦の伝道を忘れる事なく、日々の生活の中で成長に応じて実行出来る様心掛けて、親神様、教祖、霊様に喜んで頂けるよう頑張らせて頂くつもりです。
本年もよろしくお願い致します。
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