生い立ち

 が流行っているらしいね。このニュースを聞いて、まず思ったのがタピオカって何?ってことなんだ。で調べてみると、タピオカの原料は「キャッサバ」というイモの一種で、原産地は南米なんだって。もちもちした食感で、噛んだときのほんのりした甘みが特徴なんだって。ヘルシーそうに見えて実は高カロリーだそうだから、食べすぎに、どうやら注意が必要のようだね。
 さて本題に入るけど、今月も教祖の幼少期をみんなと振り返ってみようと思うんだ。教祖の幼少の頃ってどんな感じだったんだろうね?
 教祖は、三歳の頃から、なさる事が他の子供と異って居たので、近所の人々も、人並すぐれた珍らしいお子やと言いはやした。六歳の頃には、針を持ち始め、糸紡ぎをまね、網巾着を編み、糠袋を縫うては、好んで近所の子供達に与えられた。
 七歳の時には、近所の子供が泣いて駄々をこねて居るのを見て、自分が親から貰うた菓子を与え、その泣き止むのを見て喜ばれた。八、九歳には、忙しい秋の収穫時など、近所の小さい子供達を遊んでやられたので、その親達も、教祖のなされ方に感心せぬ者は無かった。
 教祖伝をよむかぎり、常に相手の立場に立たれ、何事もつき詰めて考え、行動される、という印象を僕は強く感じるんだ。
 教祖は、元始まりのいざなぎのみことの魂をお持ちのお方であるよね。だから、「人並すぐれた珍しいお子」とあるように、やはり他の子供との違いはあったとみても不思議ではないよね。
 それから、ご幼少のころから、よく近所の子供の面倒をみられるなど、母親的な面が強く出ていることも見逃してはならないよね。現在のように託児所などない時代のことだし、子供たちはもちろん、農繁期の多忙な時期の親たちは大いに喜び、関心したことだと思うんだ。そして、感謝の思いさえ抱いたことだろうね。
 村の長ともいえる家柄の、しかも長女という立場がそうさせたのかな~?
 でも言えることは、幼いながら物心ついたころから、そのご行動には、すでに人類の母親としての芽生えをみることができるってことなんだ。
 それじゃあ今月はここまで。またね!バイバイ。