いんねん寄せて守護する

 この間、銀行にお金をおろしに行ったんだけどさあ、待っている時間にふと店内を見渡すと壁に掛かっている額に「一期一会」と書かれていたんだ。まさかと思うけど「いっきいっかい」なんて読んじゃいけないよ。「いちごいちえ」だよ。この「一期一会」、一生に一度限りの機会という意味なんだけど、語源は、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ」といった、茶会の心得からきてるんだって。
 よく考えてみると、人の出会いとは不思議なものだよね。歴史の上からみてもこの人とこの人が出会ってなければ歴史は大きく変わっていたなんてことよくあるもの。僕たちの身のまわりにだって、そうゆう事よくあるものね。
 さ~て、本題に入ろうかな。今回は、「いんねん寄せて守護する」ということについて一筆とらせていただくよ。
 親神様は、僕たちのいんねんを見定めて、それにもっともふさわしい現実の姿をお与え下さっているんだ。
 それは体の上にも、また、その人を取り巻く事情の上にも現れて来るんだ。僕たちは日常、夫婦、親子、兄弟、親戚、あるいは近所付き合いをする人、仕事上で関係する人、行きずりに出会う人など、いろんな形で、いろんな人と結びついているよね。実は、これもみな親神様がそれぞれのいんねんを見定めて、複雑微妙な組み合わせをして下さっているからなんだ。
 ぜんしよのいんねんよせてしうごふする
 これハまつだいしかとおさまる
 一・74
「末代の治まりのため、たすけのため、前生のいんねんを寄せて守護する」と教えて下さっているんだ。
 自分の意志で親を選んで生まれてきた人っていないよね。望み通りの子供を選び出して生む親っていうのもいたらコワイよね。
 養子や嫁ならともかく、お腹を痛めて生んだ子供は、親側からも子供側からも選り好みは出来ないよね。
 っていうか、自分で選んだと思っている養子や養女、婿や嫁だって親神様の深い思召しによる深い準備が進められていたんであって、その人を選ぼうと決めるような心の動きもまた、親神様にご守護によって導かれたものなんだ。
 だから、例えば、子供にもらったのも、また、婿や嫁にもらったのも、実はもらったのではなく、いんねんある人がいんねんある家に帰ってきたと考えるべきなんだよね。
 僕たちのまわりに人をみると、自分と同じようなタイプの人もいれば、全く違うタイプの人もいるし、気の合う人もいれば気の合わない人もいるけど、いずれにしても大切なのは、与えられた姿を不足したり、それから逃げたりせず、いんねん寄せて守護下さっている親神様の深い親心を悟り、現実の中に希望と喜びを見出していくことなんだよね。
 おっと、そろそろ町内の草刈りに行く時間だ。それじゃ、みんな、今回のポイントしっかり復習しておいてね。バイバイキ~ン!