こうまん

 みなさん、ただものだんだん!マーちゃんですよ。今回は「こうまん」についてのお話ですよ。
 八つのほこりの中の最後にあげられるのが「こうまん(高慢)」なんだよね。
 「こうまん」の心遣いというものは、自分でもそうと気付かないうちにも、いつの間にか使っているものなんだよ。
 自分ではそんなつもりは全くないのに、仕事の性質や立場によって、無意識のうちに人を軽視してしまっていたり、自分の意見だけが正しいような錯覚をもってしまったりするってこと、みんなは無い?
 昔から「金持ちは金の力をもって人をたたきつけ、わがままを押し通そうする。主人は使用人に頭ごなしポンポン言う。役人は上層部には媚び、部下や市民には尊大で横柄そのものである」なんていうのが、通り相場のように言われて来たんだけど、これらが「こうまん」のほこりであることは言うまでもないよね。
 でもさすがに今日の社会では、いくら財力や権力があるからといっても、さっき述べたような生き方は通用しなくなっているよね。
 社会一般がこんな高慢な考えや態度を許さなくなってきたんだと思うんだけど、でも、社会通念が改まり、表面的な態度や形は変わってきても、力ないのに我が身たかぶってみたり、人を見下したり、あざけたり、生かじりの知識を振り回して人の欠点や穴を探したりなどの「こうまん」の心遣いは僕たちの身近に、しょっちゅうあることなんだよね。
 また、我が子の成績に目を血走らせる教育ママの心の中や、必要以上の高級住宅や高級車を買い込む人の心の中にも、隣近所に比べて味わいたい高慢の心がひそんでいるとも言えるし、はたまた、資産家や経営者の心の中にも、あるいは、組合運動や市民運動のリーダーや闘士の心の中にも、ともすれば、巣くってくるのが「こうまん」なんだよね。
 っていうか、何よりもこの教えを信仰し、教祖のひながたを慕い求めている僕たちの心の中にだって、世間に対する独善の心、ひとりよがりの心が芽生えてないか、振り返って見てごらん!
 それからさあ、「自分はこれだけの道を通ってきた」と思う心の中にも、信仰の堅さを誇ろうとする高慢が存在する場合もあるんだよね。「先生、先生」などと呼ばれているうちに、自らが道を求めて教祖のひながたをたどるよりも、教えてやろう、導いてやろうというような心になってないか要注意だよ。
 最後に、「こうまん」を含む八つのほこりって、人に説くためではなく、我が胸の掃除を進めるために、教えて頂いたってことも忘れないでね。
 ことわざにも「慢は損を招き、謙は益を招く」って言葉があるけど、みんなも日々は、「謙」を重んじて通ってくださいね。バイビー!