ふしから芽が出る

 物事ってなかなか思い通りにならないものだよね。この間、カズ兄ちゃんとパラオに買い物に行ったんだ。そうしたら兄ちゃん「ない。ない。やっぱりここも売り切れか」だって。「何を探してるんだい?」って聞いたら『限定版・吉川こんぶ食べ歩きガイド』だってさ。そんなものあるわけないじゃん。だってさあ、最後の一冊を買ったのは僕だぜ。カズ兄ちゃんには内緒だけど。
 ところでみんな。年祭に向けて勇んでますか?ほう、ほう。そりゃいいや。だけれども、信仰の道を歩んでいても、身上や事情のうえに色んな姿が現れてくるよね。また、その為に不信を抱く人も中にはいるかもしれない。親神様の思召に添うよう懸命につとめていても思いがけない苦しみに逢うことがあるけど、教祖は、これは人生の上の『ふし』であるとお諭しくださっているんだ。
 木や竹を考えてごらん。節って固いものだよね。また、節から折れやすいとも言えるよね。でも、節があるからこそ、節から芽が吹くんだよね。新しい生命の発展があるんだよね。
同じように、この道を歩む上にも親神様は次々と『ふし』をお与えくださるんだ。もちろん苦しいことや恐ろしいことに迫られることもあると思うよ。けれども、親神様の思召に添ってつとめる日々の中でそのような姿が現れても案じることはないさ。
 親神様にもたれて勇んで歩んでいればどんな身上・事情も結構に切り抜けさせて頂けるし、それ以上に、この『ふし』からさらに大きな喜びの姿にお導き頂けるというわけ。
 つまり『ふし』とは飛躍への大きな契機であるし、また、『ふし』にこそ僕達は一層勇んで親神様の思召に添いきることが肝心なんだ。
 ところで、お道を歩む僕達にとっての今までに頂いた一番大きな『ふし』って何かわかる?そう、そうなんだ。明治二十年の教祖がお姿をお隠し下さるという事情のことなんだ。以来十年ごとに迎える教祖の年祭は、これまた僕達にとって、本当に大きな『ふし』なんだよね。ん?まてよ。ということは、年祭って、僕達一人ひとりが結構に通らせて頂いている中から、おかけ下さる思召を悟って思い切った動きをさせて頂くための飛び込み台ってこと?そうだ。そうに違いない!よっしゃ。そうと分かればこの旬に。さあ、みんなも一緒に。レッツダイブ into 親心オブ教祖!