のれん

 天理時報に「近年発達障害に対する社会的認識が高まりつつある」とあった。おぢばでの専門講座によると「発達障害がある三人の子供を抱える知人にはどのような手助けが必要か」という質問の記事、読んでとてもびっくりした。一人でも診断があった時には落ち込み、生活態度への周りからの意見に心が定まらず、ストレスを感じたり、正直トシキに対して今だに具体的にどのようにすれば的確なのか分からず、悶々とする日もあるのに世の中には同じ身上の子供を3人一緒に育てておられる方がいる。本当にもったいない事だと感じました。私は幼い時からすばらしい「おしえ」を聞かせて頂き、心の向きを変える方法も教わり、周りには手助けして下さる方もたくさん親神様は置いて下さっているのに、すぐに心にゆとりがなくなり「普通」を求めてしまう。我がままを言うとイライラしてただでさえ「通じにくい」のに、より上の段を要求してガミガミ言ってしまう。常に周り迷惑をかけるんじゃないかと目を気にして「良い所を見つける」までほど遠い所に居ます。そしてトシキはこんな母親で息苦しくないかと後で落ち込む。
 「なるほどのひと」という教職員向けの本にも発達障害の記事があり、私が今思っている様な事は「泳げない人をプールの真ん中まで連れて行き、さあ泳いでごらんと手を離す様なものだ」とあった。
 分かっている事だけれど人間人の良い所を見つけるのはなかなか難しくつい出来ていない事ばかり目についてしまう。たぶん三人育てて居られるこの方も毎日たくさん子供の事で周りの方へ頭を下げているのではないかと思う。謝ったり、感謝したり。
 私の心のこうまんを神様にとって頂くために頭を下げる。勉強をもっとしなさいとトシキを通じて教えて下さっているのだろう…。いつか私も同じ様な立場の方に役立てるようになりたいと思う。
 トシキは保育所のぼうしを何故か首用の日避けを前にしてかぶり、目の前が「のれん」のようになる。でもそれがお気に入りです。なおしてもなおしても自分で最初は必ずそうかぶる。これもある意味「いいところ」なのかも…。