布教

 あんなに暑かった夏がウソの様になり、だんだんと冬らしくなってきた。子供達も元気にお連れ通り頂き感謝している。トシキは平日は保育所。週末はひなちゃん達が来るのを楽しみにし、スズエと共に毎日楽しく過ごしている。ここ最近から長い文章を話せる様になり「あのね、さっきね○が○○したよ」とか「今日は○と○に行くね」など。でもたまに「明日○だったね」とか全く関係ない人物の妄想話の様な事を言う時もあり…。まだまだ、フィルターを通して話している様な気はするけど、ささやかな成長にも大きなおどろきと喜びがあって、この子を与えて頂いて嬉しいなぁと感じている。
 夕方、保育所へ迎えに行くと教室では、紙芝居や読み聞かせ、リズム体操などしている事があるけど、大体トシキは、一人だけ別の事をしている。外のお花を見たり、体操せずに絵本を読んでいたり…。
 たんぽぽ教室でも、先生のお話中に、ピエロのかべ人形が気になり、大きな声で自分が納得するまで何回も同じ質問をする。今はどういう時で自分はどうするのか理解するのが難しいようで。見ていて私自身ドキッとする時がある。私もどうしても納得いかない事、腑に落ちない事には、その時々、スッと周りや相手に合わせ心を治める事が難しい。要するに我が強いのである。「治めなさいよ、そこは治しなさいよ」との神様の声の様な気がする。教会に居らせてもらって恥ずかしい事だけど…。
 良いお話を聞いても日々のありがたさを感じても、すぐに忘れてしまうのは、身につかせて頂く理づくりの足りなさと徳のなさと反省。
 ここ一ヵ月程のうちに他宗教の方が、三回程布教のため教会へ訪問された。そのうち二回は、自分の好きな言葉とその意味を書いて持ってきて下さった。宗教の内容には正直あまり関心はないのだけど、品のよい年配の女性の方で、その方の持つ雰囲気、声のかけ方、何より違う宗教の看板がある所へ三度も足を運ぶ勇気に感心した。「この方がお道を信仰したらすばらしい布教師になるだろうな。あそこで私が神様のお話を少しでもできていればなぁ。よし、次こそは!!」
 私も私なりの夢はいろいろ大きい。でも歩みが小さい。実現できるように頑張るぞ!!
 かしこねのみこと この神様のご守護を欠くほこりの心づかいは「にくい」をもって代表されると思いますが「にくい」の心づかいの反対は「いたわる」「ほめる」ことだと思います。口・耳・鼻をこの神様の思召にあうように口からは、あたたかい言葉を出し、耳は人にたっぷり貸し、鼻は形のない人の真実を嗅ぎ分けるよう使わせて頂くのが、真に賢い人といわれるのではないでしょうか。かしこねのみことのご守護の理の欠けたおていれは口・耳・鼻の患い。
 毛利長四郎「病いハない」