元一日

いや~夏だよね。僕みたいな夏男にとって今年のような冷夏は、ちょっと物足りないけど、それでもツバメが南を目指すが如く向いましたね。海に。太陽が僕をいざなうんだよね。
みんなは海には行きましたか? 僕は数回行ったけど、この前なんて、お隣、鳥取県の白兎海岸まで行っちゃいました。あの海岸は、潮騒の音が実に叙情的な感じがして、とっても好きな場所なんです。でも、さすがに海は疲れる。帰る頃には、もうヘトヘト。さすがにクロールはやめて平泳ぎで帰りました。
ところでみなさん。物事の始まりだしって大切だよね。実は、うちのお母さん。この前からダイエット始めたんだ。始めたきっかけは、よくテレビなんかで目にするあれだよ。エレベーター。数人乗ってるエレベーターに飛び乗ったらブザーが鳴っちゃったんだって。信じられる? そんな事って実際にあるんだね。その時の赤っ恥を機に始めたダイエットだったけど2週間で失敗したみたい。喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうことだな。志をもって始めたことでも続かなきゃ意味な~いじゃんだよね。シュークリームに負けたんだってさ。ダイエットって難しいみたいだね。
さてみんなはお道を信仰している訳だけど自分のうちの入信のきっかけって何か知ってる? 信仰初代の方はもちろん知ってるだろうけど、信仰が二代、三代になると結構知らない人もいるんだよね。事柄の始まった最初の日、物事の拠ってきた元となった日のことを「元一日」っていうんだけど、今回はその「元一日」についてお話してみま~す。
まず、元一日っていえばまず何よりも「立教の元一日」のことを思うよね。
夫・善兵衛様の眼病、長男・秀司様の足痛、そして、教祖の腰痛と三人に重なる身上の悩みを見せられて、たすけて頂きたいと願われた中山家の人々に対して、初めて聞かされた親神様の「教祖を神の社にもらい受けたい」という思召しにたいして、三日にわたる問答の末、ついに夫・善兵衛様は決心され「思召通り差し上げます」とお誓いをされたんだけど。この思召しに添い切るという神一条の心定めによってこのお道は始まったんだよね。そう天保九年十月二十六日のこと、いまさら言うまでもなくみんなは知っているよね。
そして、「立教の元一日」とは別に、僕たち1人ひとりにとっても、この道を初めて知ることのできた「元一日」もあるよね。
めいめいが、一家が、また先代が、身上の悩み、事情のもつれ、あるいはまた、まったく思いがけない機会など、この道に引き寄せて頂いた。時期や状態は異なっていても、初めて聞く親神様の思召しに感激し、不思議なご守護に歓喜した、「元一日」があるよね。
お道を信仰する僕らにとって忘れてはならないことは、それぞれがたすけ導いて頂いた元一日、そして、このお道の元一日の日の姿を常に振り返りその日の心を今日の心として、日々変わらぬ神一条の心、すなわち、親神様の思召に添い切ろうという心で歩ませて頂くことなんだよね。どう、勉強になるでしょう。
そういえば、「変わらぬが誠」って聞かせて頂くけど、変わらないことって難しいことなんだよね。変わらないでいる為には「元」を常に再認識しておくことなんだろうな。よーし、僕も月初めの愛宕山ひのきしんを心変わることなく続けるぞ~お。でも、お父さんの万年係長だけは、そろそろかわってもいいんだけどなぁ。