たすけられた人は

ゴビ「博士、人間って流行りものが好きですよね。」
博士「どうしてじゃい」
ゴビ「この前、友人のしまねっこちゃんが、出雲の駅南に行列のできる激うまラーメン屋を見つけたというんです。」
博士「ほう。」
ゴビ「ゴビちゃんも連れていって上げるということで、先日そのラーメン屋に連れて行ってもらったんです。」
博士「それで、おいしかったのかい?」
ゴビ「はい、確かに大変おいしかったのですが、順番を待つ時間が長くて少し疲れちゃいました。」
博士「よくあることじゃな。しまねっこちゃんは、自分で食べてみておいしかったから、自分だけ黙って楽しんでいては勿体ないということでゴビちゃんをさそったんだね。」
ゴビ「そうだと思います。」
博士「『どう、おいしいでしょう』って連れて行った方が喜んでいたんじゃない?」
ゴビ「その通りなんです。」
博士「自分の喜びは人にも教えて上げることが大事なんだね。」
ゴビ「博士、にをいがけと一緒ですね。」
博士「その通り。ところで、ゴビちゃん一つ問題をだすが」
ゴビ「何ですか?」
博士「例えば、人がよくおちいる人間関係のトラブルで苦しんでいた人がいるとする。たまたま知り合ったおたすけ人のアドバイスに助けられたとする。その人は助けてくれた方にお礼をいい、家に帰ってからも、その方を恩人とあがめ、そのときの恩を忘れない人がいたとする。その人ってどんな人かな?」
ゴビ「う~ん、御恩を知り、恩を忘れない。なかなか、すばらしい人に思いますけど。」
博士「一見そう思うかもしれないが、恩知らずな人とも言えるんじゃよ。」
ゴビ「えっ、ひっかけ問題?」
博士「その人がしなければならないのは、自分をたすけてくれた人と共に、まだ陥ってくるしんでいる人たちをたすけるべく努力して行動するのが、人のつとめといえるんじゃよ。」
ゴビ「なるほど。天理教の教えも同じように、教えを聞いて、良い運命への道がはっきりしたと感謝するならば、まだ、この教を知らないで人生の荒波にもまれて苦しんでいる人々にお話させていただかねばならんってことですね。」
博士「その通りじゃ。」
ゴビ「こうした気持ちから、苦しむ人に呼び掛けるのがにをいがけなんですね。」