必ず土をかぶせて

ゴビ「博士!先月のご本部の大祭は、お帰りになりました?」
博士「もちろん、ご参拝させていただいて、真柱様の諭達を拝聴させていただいたよ。」
ゴビ「そうですか。僕もご参拝したんですが、会いませんでしたね。」
博士「そうじゃな、わしは西の回廊で参拝しておったんじゃがな~」
ゴビ「そうですか、僕は中庭でしたから。ところで博士。」
博士「なんじゃい」
ゴビ「僕は、団体で参拝して、帰りに京都のお寺を観光して帰ったんですが…」
博士「ほう、京都はこの時期いいのう。それで?」
ゴビ「ああゆう、大きなお寺をお参りすると人の目の付きやすいところに、建札や紙切れが貼ってあって、いつだれだれが、いくらいくらの寄付をしたと麗々しく示してありますね。」
博士「そうじゃね。」
ゴビ「ときには、石に刻みこんで永遠にその功績を遺すようなものもあります。」
博士「それがどうしたんじゃ?」
ゴビ「それに対して、おぢばの本部の神殿は、あんなに大きな建物なのに寄付者の名前はひとつもしてありませんよね。」
博士「そうじゃね。」
ゴビ「また、土地所の分教会にしても、寄付者の名前なんて見たことないですよね。」
博士「その通りだね。名誉欲の高い人からみたら物足りないかもしれない。せっかく寄付したのにと張り合いがないかもしれない。しかし、これが、お道の教えの伏せ込みということだろうな。」
ゴビ「そうですか、これも伏せ込みですか。」
博士「蒔いた種なら、必ず土をかぶせて、外から見えなくするものだね。こうしておけば、種は自然に膨らみ、根ざし芽生えるもんじゃ。しかし、種が外から見えるようではどうなるかな?」
ゴビ「腐ると思います。」
博士「そうだよね。素晴らしく良いことをしても、宣伝し、口外しておると、種子の腐敗につながってしまうってことだよね。」
ゴビ「ふむふむ」
博士「お言葉に『石の上に種を置く、風が吹けばとんで了(しま)う、鳥が来て拾うて了う。生えやせん。心から真実まいた種は埋(おぼ)ってある。鍬で掘り返やしても、そこで生えんが外で生える』というのがある。」
ゴビ「どんな良いことをしても、知らぬ顔をして誇らず、むしろ知られては恥ずかしいという考えで通っておれば、必ず人から好かれ、信頼され、求めずとも栄達の喜びが報いてくるってことなんでしょうね。」