空気を読むこと

 春になって学年も上がり身 もぐんと伸びた長男。新しいランバックを背負って楽しみに登校する長女。海の見える高台のアットホームな保育所に通い始めた次男と次女。それぞれの新しい生活が始まりました。毎日元気にお連れとおり頂いて感謝しています。
 中でも長男は中学年という事もあってか、友達との関わりにも変化が出てきました。なかなか一緒に輪の中に入って遊ぶことが難しく、学校でも一人で過ごすことが多いようです。学校での様子を訊いても「ちょっとね、忘れた、普通。」とあまり言いたがらなくなりました。本人なりにいろいろと考えていのかも知れません。しかし最初の頃は「空気を読むことが難しい」と診断の中で言われたことがありますが、何となく「そういう空気」は読めるようになったのだな~と少し嬉しいような気もしています。それに一人で過ごす学校も楽しかったかときくと「楽しかった!」と答え、同じ通る道でも神様は通りやすいようにしてくださっている事をまた嬉しく思います。今月号のさんさいの記事に「私たちは誰一人、自分一人で大きくなった人はいません。
 わが子が前世で自分を育ててくれた恩人だと思えば、なんだか嬉しくなってくるではありませんか。皆さんの子供たちは、親親の徳を頂いて、お道の信仰につながる家庭に生まれてきた子供です。私たち以上の魂の輝きを持ってこの世に生まれてきたはずです。その素晴らしい魂に、徳を積ませていただける子育ては、私たち人間に出来る最高の御用だと思いませんか。」とありました。こんな立派な事には到底及びませんが自分の知らなかった世界の扉を次々に子供たちが開けて進んでくれているような気がしてなりません。またこの筆者の方はお母様から「子供のすることを喜んで通りなさい。親を喜ばせたということで、子供が親孝行になるのよ。」と教えられたそうです。
 教祖の「おいしいというってやってくれ」に通じるものがあるように思います。こういうお話を聞かせて頂くと、ではどうやって徳を積ませるのかなと考えさせてもらうことができ、自分の心使いも振り返ることができ、有難いなと思います。いつか「子育ての楽しさを満喫」できるようになりたいです。(笑)