旧暦と新暦

 やあ、みんな!マーちゃんだよ。みんなは、旧暦カレンダーって売られているの知ってる?僕は、最近知ったんだけど、これっていったい誰が買うんだろうね?
 旧暦って、つまり昔使われていた暦だよね。この旧暦は、月の満ち欠けを基準にした暦なんだ。だから、潮汐と関係が深い漁業関係者などは、このカレンダーを活用してるんだって。コアな釣り好きな人も見ているみたいだね。
 ところで今回は、旧暦陽暦の観点から、すこし教祖のご誕生について考えてみようとおもうんだ。
 教祖は、寛政十年四月十八日朝、大和国山辺郡三昧田に生まれられたんだよね。
 そう、四月十八日といえば、教祖誕生祭の日だよね。誕生祭がつとめられるようになったのは昭和九年以降からなんだ。
 教祖のご誕生といえば、春四月を思い浮かべるよね。でも、実際、その日その時はどうだったんだろう。
 実は、その日、寛政十年(一七九八年)の四月十八日は、もちろん旧暦によるものであり、いまの陽暦では、六月二日にあたるんだ。六月といえば初夏だよね。教祖ご誕生の時候を花四月、陽春のころイメージがあるけど、どちらかと言うと、風薫る初夏のころなんだね。そう考えてみると、それにふさわしい思いがひろがっていくよ。
 時刻については「夜のほの〴〵と明けはなる頃」とか「丁度朝の八時」とも言われているんだ。
 ちなみに、教祖のご誕生の朝の空模様を「教祖ご誕生祝歌」に「空に五彩の雲たなびきし~♪」と歌われているよね。ご誕生といえば五彩、つまりご生家である前川家の屋根にたなびいた五色の雲を連想するんだけど、これはどうなんだろう?
 初代真柱著「教祖様御伝」には「教祖出生の時、前川の家の上に不思議なる雲(五色の雲)ありたりと近所の人々申し居りたり」と記されているんだ。
 それにつけてなんだけど、六国史の中に貞観五年(八六三年)の六月二日のくだりに、「大和国の石上神宮の南に五色の雲を見る」とあるんだ。ご誕生の瑞兆として、彩雲が見えたという伝承があっても、決して不思議ではないってことだよね。
 それじゃ今回はここまで。また会おうね。