家の母

 やあ、みんな!マーちゃんですよ。今日も、教祖のひながたをみんなで勉強してみようね。教祖は十三歳でお嫁に行かれたんだけど、その様子はどうだったんだろう?
 嫁がれた教祖は、両親にはよく孝養を尽し、夫にはよく仕えて些かも逆らうこと無く、一家睦じく楽しく暮された。
 教祖はよく仕え、よく働かれたんだね。朝は早くから起き、炊事、洗濯、針仕事、機織りの家事から、田植え、草取り、稲刈り、麦刈りの農事に至るまで、男の仕事とされた荒田起こしと溝堀りを除いては何でもなされたそうなんだ。すごいよね、まさにスーパーウーマンだよ!
 その上、親族知人や隣近所の気受もよく、家においた人々には、いつも優しい言葉をかけて労わり、仕事休みの時などは、自ら弁当を作って遊山に出してやるなど、到れり尽せりの行き届き方であった。両親もこの様子を見て、十六歳の年には、全く安心して所帯を任せた。
 教祖は、嫁して三年、十六歳という年齢で、一家の所帯を任されるということになったんだ。教祖が所帯を任されたということは、姑から家の主婦権を譲られたってことなんだ。
 でも、こんな庄屋もされるような大きな家の所帯を任されるって、僕の感覚で考えてみても少し早すぎるような気がするけど当時としてはどうだったんだろう?
 当時、善兵衛は二十六歳で、舅の善右衛門は五十五歳だったんだ。「人生五十年」といわれている時代だよね。善右衛門が隠居してもおかしくはない年齢であるし、善兵衛が家長として跡を取っても決して若すぎることはないようだね。
 それにしても、教祖には当時、子供がまだ授かっていなかったんだし、しかも、十六歳という年齢で所帯を任されたということは、やはり、平凡なことではないみたいだね。このことは、それ以上に教祖が、嫁として主婦として抜きん出ておられたことの証だね。
 姑の目から見ても、安心して主婦権を譲れるだけの資質を認めたられたからなんだろうね。